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2020年12月29日 (火)

メンタルの強化書/佐藤優

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 ですからメンタルを強くしたい、心を折れないようにしたいと考えたら、やるべきことは2つあります。
 1つは自分自身の内面を強くしていくこと。先ほどお話ししたように心を硬くするのではなく、しなやかに柔らかくするということ。
 もう1つは自分を取り巻く環境を変えていくということ。できる限りストレスの少ない、快適な環境に変えていくことが大事です。

現代の競争社会の中で勝ち残っている人は、特異な能力があるか、あるいは親の遺産を引き継ぎ、最初からスタートラインが違っているか、さもなければよほど図太く、図々しい人物であるかのいずれかだ。

図々しいということは、言い換えれば「下品」だということ。

すると成功するためには「下品力」こそ必要だということになる。

その意味で言うならば、メンタルの一番の強化法は「下品になること」だということになる。

夏目漱石は名作『吾輩は猫である』で「三かく人間」のことを書いている。

「三かく」とは、「義理を欠く」「情を欠く」「恥をかく」の「三つのかく」のこと。

「三かく人間」は無敵だ。

自分を縛るものや良心の呵責がないのだから、その意味では自由だ。

こういう人間は平気で他人を裏切り、蹴落とす。

もちろん心を病むことなどない。

その分他人を病気にしてしまうが。

著者が本書で述べている「強さ」はそういうものとは少し違う。

それは「折れない」という意味での「強さ」。

いまの時代、心が折れそうになる状況がたくさんある。

そんな中でも心折れることなく、たくましく生き抜く強さ、しぶとさがこの本で言うところの「強さ」である。

いまのような変化が激しくプレッシャーやストレスの多い時代は、硬い心よりも、しなやかで柔らかな心の方がはるかに強い。

どんな環境でもどんな力が働いても、柔らかく曲がり、しなやかにまたもとに戻る。

そんな心こそ目指すべき強さだ。

まず、心折れずに生き抜くことが第一。

これまでも困難な時代はあった、ずっと暗く混乱した時代が続いたわけではない。

辛抱の時代を「しなやかに」「強く」生き抜きさえすれば、新しい時代が再び始まる。

ちなみにしぶとく生き抜くためのキーワードは何か?

それは「自助・公助・共助」という言葉。

「自助」とは自分で自分を助けるということ。

自分で何とかする力をつけること。

「公助」とは公の助けを求めるということ。

国や地方自治体のサービスを活用するということ。

そして「共助」とは仲間同士で助け合うということ。

地域の仲間でもいいし、昔の学生時代の仲間でもいい。

とにかく仲間同士で助け合い、支え合うということ。

飽和した成熟社会を生きている私たちの生活水準、生活の便利度は、かつての王侯貴族と変わらないか、それ以上だと評する人もいる。

たしかにいまの時代、ちょっとお金を出せば一流ホテルや旅館に泊まり、豪勢な食事をすることができる。

豪華な馬車はないが、代わりにはるかに機動力の高い自動車や列車、飛行機でどこへでも行くことができる。

ネットで買い物をすれば次の日にはしっかり商品が届けられる。

宅配便で送れば次の日にはしっかりと届けることができる。

遠くの家族や友人とネットやSNSで文字や音声だけでなく動画までやり取りができる。 

チェコスロバキア共和国の初代大統領でトマーシュ・マサリクという人物がいる。

この人は有名な社会学者、哲学者でもあった。

マサリクは自殺を社会学的に研究した草分けだった。

それまで自殺の原因は貧困とされていた中で、マサリクはプロテスタント地域とカトリック地域の自殺率を調べた。

するとプロテスタント地域の方が豊かなはずなのに自殺率が高いことを発見する。

マサリクは、自殺は貧困や病気という客観的な要因によって起こるのではなく、時代の変わり目で価値観が変動する時期に心の中に沸き起こる「不安」など、心理的な要因によって自殺するのではないか、という仮説を立てて検証した。

これまでは絶対的な神の存在──宗教が孤独や不安を和らげる力になっていた。

しかし中世のような宗教的な権威はすでに弱まり、人々の中で神の存在が薄くなっていた。

その神の存在に変わって登場したのが「お金」だった。

お金があれば衣食住、生きるために必要なものやサービスを手に入れることができる。

不安を解消し、幸せに生きるためにお金が必要不可欠なもの、絶対的な存在になった。

お金を稼ごうと頑張るのは、豊かになりたい、幸福になりたいという欲望や願望があると同時に、コインの裏表の様に「孤独に対する恐れ」や「不安」がある。

このような慢性的な不安感の中で、しだいに精神がすり減り、うつ病や自律神経失調症など、心の病に陥っていく。

資本主義社会が成熟するほど心を病む人が増えるというのは、そんな構図もあると考える。

立ち止まることができる力こそ教養である。

前のめりに突き進むのではなく、周囲の人たちが、社会が前のめりになって同じ方向に突き進んでいる時、「ちょっと待てよ」とか「あれ? おかしいぞ」と立ち止まることができるか?

これが教養。

世の中で言われていることが本当に正しいかどうかはわからない。

むしろいろんな思惑の中で、ある一部の人間たちにとって都合のいい論理が先行していることも多い。

少し不真面目に、斜に構えてものを見るくらいでちょうどよいかもしれない。

ただし、本当に斜に構えてしまうと、斜めから物事を見続けているうちに、見方が歪んでしまうということもある。

そこで「人よりも半歩遅れて進む」という考え方が大事。

現代社会の価値観にどっぷりつかっていると、えてしてその価値だけが唯一のように錯覚してしまう。

しかし、視野を広げ、時間と空間を広げてみれば、考え方や価値観、生き方の解は決して1つではないことに気がつく。

「働き方改革」が叫ばれている昨今、大事になってくるのが仕事との距離感。

その距離感を間違えると、ストレスになったり過重労働になったりして、心身の健康を害してしまう。

理想としては「マイペースタイプ」が精神衛生上は望ましい。

ただし、それこそ右肩上がりの時代ではないので、気楽に仕事をしていて生き残っていくことは難しい。

最低限の成果をクリアすることをまず目指す。

先延ばしにできることはできるだけ先延ばしにする。

その意味では図太く、ズルくなることも大事。

このことは、そのまま精神衛生にもつながる。

宗教的な視点と、マルクスのような客観的で合理的な視点の2つのバランスが、心折れずに、しなやかに強く生きる上で大きなポイントになる。 

「私」とは内面世界を持った自己であると同時に、周りの環境との関わりから成り立っている存在でもある。

強く生きるためには「私」を変えると同時に、「私を取り巻く環境」も変えていかなければいけない。

「私」すなわち自己の内面世界をしなやかに強く変えるために、時には宗教的な視点や理解が大いに助けになる。

いっぽう自分を取り巻く環境を変えていくには、理性によって客観的・合理的に世界を把握し、分析する必要がある。

そして同じく客観的・合理的な方法で環境に働きかけ、改善していかねばならない。

マルクス的な客観的現実認識と、宗教的な人間理解の2つの要素とそのバランスが、これからの時代を生き抜くポイントになる。

産業革命から資本主義の世の中になって、まず失われたのがコミュニティだった。

工場労働者がたくさん必要になると、それまで住んでいた家族や村から離れ、コミュニティの紐帯を外れて町中に移り住む人たちが増えた。

それまで共同体のつながりと助け合いの中で生きてきたそれらの人たちはバラバラになり、アトム化した存在になる。

このバラバラになった個が都市化により、たくさん集合することによって生まれたのが「大衆社会」。

大衆社会はコマーシャリズムやマスメディアの発達で大量の情報を共有し、大量消費社会を作り上げ、資本の更なる増幅を可能にした。

大衆社会は人数こそ多いものの、その中の個はバラバラ。

むしろ「孤独な群衆」(デイヴィッド・リースマン)という言葉が生まれたように、群衆の中で孤独感と不安感がより強くなる。

現代社会でたくましく強く生きるためには、1つはできるだけ信頼でき、社会的価値が高いと評価されているアソシエーションに属すること。

そしてもう1つが、現代社会の中で解体され失われつつあるコミュニティを復活させ、そこに属すること。

これからの10年、20年は決して明るい世の中が待っているとは言えない。

辛く厳しい時代を前に、いかに心折れずに生き抜くか。しなやかに、かつしたたかに生き抜くか。

もう一度日本人の美意識の核に立ち戻ること。

そして私たち自身のストーリーを作り、結びつくことが大事になる。

困難で苦しい時代は、同時に新しい価値観と生き方、新時代の可能性が生まれる母体でもある。

その胎動がすでに始まっている。

今年のコロナ騒動は、その起点になるのではないだろうか。

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