天才はディープ・プラクティスと1万時間の法則でつくられる/ダニエル・コイル
あらゆるスキルの獲得は、ひいては才能が輩出されるプロセスは、異なるように見えても、すべて同じ原理で成り立っている。カリフォルニア大学ロサンゼルス校の神経学者でミエリンの研究者でもあるジョージ・バーゾキス博士はこう言っている。
「スキル、言語、音楽、動作、これらはすべて活発な神経回路で構成されています。そして回路はすべて一定のルールに基づいて発達します」
〝才能〟という言葉は曖昧で、とくに若者を対象にした場合、潜在能力について理解しにくいニュアンスが含まれている。
調査によれば、神童であってもかならずしも将来成功するわけではない。
本書では、混乱を避けるために〝才能〟を最も厳格な意味で用い、「体格に依存しない反復可能なスキルを有すること」と定義する。
ディープ・プラクティスは逆説に基づいている。
すなわち、あらかじめ想定した範囲内で苦労することによって――自分の能力よりもやや上のレベルで練習し、ミスを重ねることで――上達するのだ。
言い方を変えれば、スピードを落とし、ミスを犯し、それを修正せざるをえない経験をすれば、自分でも気づかないうちに、すばやく優雅に動けるようになるというもの。
その理由は脳の仕組みにある。
私たちは記憶をテープレコーダーのように考えがちだが、それは間違っている。
記憶は生体構造で、言ってみれば無限大に近い足場なのだ。
困難に直面して乗り越えることでインパルスを発生させる回数が増えるほど、足場が組み立てられていく。
そして足場が増えるほど、学習速度が速まる。
ディープ・プラクティスには世間一般のルールは当てはまらない。
より効率的に時間を使える。
小さな努力が大きく持続的な成果を生み出す。
それは、失敗をスキルに変えることのできるてこの力点を見つけるからだ。
その秘訣は、現在の能力よりも少し上の目標を設定すること、すなわち苦しいと感じる練習を重ねることである。
やみくもにのたうちまわっても意味はない。
目標に向かって努力することが大切なのだ。
ディープ・プラクティスには、従来の考えと異なる点が二つある。
まず、才能に対する一般的な理解に逆らっていること。
私たちは、練習と才能の関係は砥石とナイフの関係と同じだと考えている。
必要不可欠ではあるが、生まれつきの才能という頑丈な刃がなければ役に立たないと。
だが、ディープ・プラクティスでは興味深い可能性が生まれる――練習が刃そのものを鋳造する手段となりうるのだ。
もうひとつ、ディープ・プラクティスの独自の概念は、通常は避けようとする出来事――つまりミス――を必要とし、それをスキルに変えるという点だ。
したがって、ディープ・プラクティスの仕組みを理解するには、まず学習プロセスにおけるミスの重要性について考えることが必要となる。
根拠となる事実は三つある。
①人間の動き、思考、感覚はすべてニューロンを通じて伝達されるタイムリーな電気信号である。
②ミエリンはそうした神経線維を覆い、信号の力、スピード、正確さを高める絶縁体である。
③特定の回路で信号が多く発せられるほど、ミエリンはその回路を最適化し、私たちの動作や思考はより強く、速く、滑らかになる。
脳科学の基本的な考え方について説明すると、すべての行動は神経線維を伝わる電気信号(インパルス)の結果だ。
基本的に、人間の脳はシナプスで接続された神経という千億もの電線の束である。
人が行動を起こすと、脳が神経線維を通して筋肉に信号を送る。
歌を歌ったり、ゴルフクラブをスイングしたり、文章を読んだりするたびに、頭のなかでそれぞれ異なる回路が、言ってみればクリスマスの電飾のように点灯する。
テニスのバックハンドのような、ごく簡単なスキルでも、無数の神経線維とシナプスから成る回路が関わっている。
脳科学のもうひとつの基本的な考え方は、スキルの回路が強化されるほど、私たちは回路を使っていることに気づかないという点だ。
スキルは自動化され、潜在意識にしまいこまれるようにできている。
この自動性と呼ばれるプロセスは、進化と関わりがある。
また、きわめて説得力のある錯覚を生み出す。
いったんスキルを身につければ、以前から習得していたかのように自然なものに感じるはずだ。
スキルは脳の回路であり、自動的なものであるという二つの考えは矛盾をきたす。
私たちは永遠に巨大で複雑な回路を作りつづけると同時に、作っていることを覚えられないからだ。
そこでミエリンが登場する。
最適化の正確な仕組みは、いまなお謎に包まれているものの、全体像はおそらくダーウィンも喜ぶほどみごとなものだ。
神経の発火がミエリンを形成し、ミエリンがインパルスの速度をコントロールし、インパルスの速度がスキルとなる。
かといってシナプスが何もしないわけではない。
それどころか、神経学者はシナプスの変化がスキル習得の鍵となると強調する。
「信号は適切な速度で伝わり、適切なタイミングで届く必要があり、ミエリン化は脳がその速度をコントロールする手段なのです」と。
要するに、〝練習が技術を向上させる〟ということわざは訂正するべきときが来たということだ。
正確には、練習がミエリンを増やし、ミエリンが技術を向上させる。
そしてミエリンの働きには基本的な法則がある。
第1に、回路の発火が最優先という法則。
ミエリンは、非現実的な望み、曖昧な考え、ぬるま湯のごとくあふれかえる情報ではなく、アクション、つまり神経線維を伝わるインパルスに反応して形成される。
しかも、そのインパルスは何度も繰り返し発生する。
第2に、ミエリンは普遍的という法則。
一種類ですべてのスキルに対応できる。
ミエリン自体はショートの守備に利用されるのか、シューベルトの演奏に利用されるのかは知らない。
その用途にかかわらず、ミエリンは一定のルールに基づいて増える。
つまり実力主義だ。
第3に、ミエリンは覆うのみで、剥がさないという法則。
高速道路を舗装する機械のように、ミエリン化は一方通行だ。
いったんスキルの回路が絶縁されると、元通りにすることはできない。
習慣を断ち切るのが難しいのはそれが理由だ。
第4に、年齢が重要という法則。
子どもの場合、遺伝子情報および活動によってミエリンは次々と形成される。
これは30代になるまで続き、その間、脳はとりわけ新たなスキルを受け入れやすい状態にある。
その後もミエリンは維持されるが、50歳前後で減少に転ずる。
ミエリンの研究は始まったばかりだ。
ある神経学者が言ったように、ほんの数年前までは世界中のミエリン研究者を一軒のレストランに集めることができた。
「ミエリンに関する私たちの知識は、おそらくシナプスの2パーセント程度に過ぎません」と神経学者フィールズは語る。
これからの研究によってどんなことが解明されるのか、楽しみだ。
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