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2020年12月14日 (月)

キリスト教と日本人/石川明人

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 日本におけるキリスト教は、救貧・福祉事業、教育、医療など、日本人を助けてくれる温かな一面を持っていたのは確かであるが、その一方で、時にはかなり面倒でやっかいな存在であったのも事実だと言わざるをえない。

本書は、宗教とは何か、信仰とは何か、ということについての、長々とした「問い」そのものだと言ってもよい。

この中で特に興味深いのは豊臣秀吉のキリシタン迫害について述べている部分である。

日本では豊臣秀吉が一方的にキリシタンを迫害したと教えられているが、実態は違う。

日本でキリシタンが邪教視された大きな理由の一つは、彼らが日本にあった既存の宗教文化を冒涜し、攻撃し、破壊しようとしたことである。

しかも、しばしば宣教師の指導のもとでそれらがおこなわれたことを考えると、当時のバテレン門徒が「邪法の徒」だとみなされたのはむしろ当然だったとも言えよう。

秀吉は晩年に大規模なキリシタン迫害をし、多くを処刑している。

当初、秀吉は南蛮貿易を活発にするために宣教師の活動を認めていたが、やがて彼らを日本から追い出すことを決意する。

それが「伴天連追放令」である。

当時、イエズス会士のあいだでは、キリシタン大名に軍事援助をすることで教勢を維持・拡大しようとするのは普通の発想であった。

宣教師のなかには、1580年から教会領になっていた長崎と茂木を要塞化して、ポルトガル・スペインの軍隊を呼び寄せ、そこを足がかりにして日本を制圧することを真面目に検討する者もいた。

日本を軍事的に征服してしまうことは現実的ではなかったようだが、イエズス会としては、日本を征服してしまえば一気にキリスト教化することができ、そこを前線基地として中国布教も容易になると考えていたのである。

当時、武力によって教会や宣教活動を守ろうと主張した宣教師は、一人や二人ではなかった。

1599年、イエズス会司祭ペドロ・デ・ラ・クルスは、イエズス会総長宛ての長い書簡で、日本での布教を成功させるには積極的に軍事力を行使すべきであると論じている。 

イエズス会宣教師たちが武器の調達に協力的だったのは、キリスト教を保護する大名が勢力を維持・拡大することはすなわちキリスト教の維持・拡大を意味したからである。

彼らの頭のなかでは、宣教と戦争協力はゆるやかにつながっており、矛盾する全く別のものとは考えられなかったのである。

現に、当時日本にいた宣教師の多くは武力行使を認めていたし、特定の大名を支えるために武器弾薬調達の仲介などもおこない、戦争協力をしていた。

実際に可能かどうかはともかく、ヨーロッパの軍隊投入を望む者さえいた。

こうしたことは、決して軽く見ることはできない。

少なくとも、日本の側が宣教師やキリシタンに警戒感を抱いたこと自体が誤解だったとか過剰反応だったのかといえば、決してそういうわけではないと思われる。

伴天連追放令の背景として、軍事的問題の他にもう一つ決して無視することができないものがある。

それは、キリシタンや宣教師に、日本の既存の伝統や宗教を否定・排除する傾向があったことである。

しばしば、日本のキリスト教徒たちは、昔のキリシタンが受けた迫害や苦難の歴史ばかりを強調する。

確かにそれも事実ではあるのだが、では、キリシタンの側は最初からずっと日本の他宗教に寛容で、それらとの平和的共存を試みてきたのかというと、決してそんなことはないのである。

伴天連追放令の背景としてさらにもう一つ言及すべきなのは、当時ポルトガル人が女性や子供を含む日本人を奴隷として売買していたという問題である。

秀吉にはそれも許せなかったのである。

男性はポルトガルが占拠する東インド、マラッカ、マカオなどで忠実な兵士としても酷使され、女性の奴隷もかなり悲惨な目にあっていた。

なかには、はるばるポルトガルまで連れて行かれた日本人奴隷もいた。

当時の日本国内で売り買いされた人々は、戦争捕虜が最も多かったようだが、他にも誘拐、あるいは飢饉による口減らしなど、その背景はさまざまであった。

国内でさらわれ、あるいは売られた人々は、さらにポルトガル人に買い取られ、家畜のように船につめこまれて海外に運ばれていった。 

このように秀吉のキリシタン迫害には複雑な背景がある。

歴史は起こった事実だけを見るのでなく、その背景まで深く検証する必要があるということであろう。

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