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2020年12月15日 (火)

人は科学が苦手/三井誠

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 「見たいものだけ見える」「見たくないものは見えない」私たち
 カハン教授は、知識が増えれば増えるほどわかり合えなくなる状況を「汚染された科学コミュニケーション環境」と呼ぶ。
 透き通った清らかな環境であれば、事実が人々の心に広く染み込むように伝わっていくのかもしれない。しかし、いったん汚染されてしまえば、そこで事実はゆがんでしまう。素直に物事を受け取る無垢な心が汚れ、偏見が育ってしまうような環境だ。

私たちが科学的な知識に基づいて判断することはほとんどない。

人は、自分で思っているほど理性的に物事を考えているわけではない。

何かを決める時に科学的な知識に頼ることは少なく、仲間の意見や自分の価値観が重要な決め手になっている。

科学者が「科学は証拠に基づく」「科学は事実であり、意見ではない」と科学を特別なものとして訴えても、普通の人にとってはそうではない。

科学のことであっても、ほかのことを考える時と同じように理性や論理だけでなく、感情や本能的な好き嫌いがごちゃ混ぜになった、人間らしい心で判断している。

「科学はデータに基づき、それぞれの人の考え方の違いや立場の違いを超えた事実を提供できる」

そんな期待は、人間社会の生々しい利害の前にかすんでしまう。

では知識が増えれば科学的に考え判断できるようになるのか?

実はそうではない。

「人は自分の主義や考え方に一致する知識を吸収する傾向があるので、知識が増えると考え方が極端になる。」

地球温暖化やワクチンの安全性など科学に関するコミュニケーションの研究で知られるエール大学のダン・カハン教授(心理学)はそう分析する。

「汚染された環境」では政治や宗教などの個人の思いによって、情報が「大事な情報」と「嫌な情報」に分けられてしまう。

そして、人は、自分の思いを強めてくれる「大事な情報」をありがたがる。

情報をえり好みして、自分に都合の良いものを選ぶ「確証バイアス」は、自分の脳内にある〝ふるい〟といえる。

一方で、インターネットなど外部の情報環境による〝ふるい〟は、「フィルター・バブル」と呼ばれる。

これも、コミュニケーション環境を汚染する一つの要因だ。

温暖化を疑う姿勢は、その人の「知識のあるなし」に由来するのではなく、その人の「思い」から生まれているのだ。

「知識のあるなし」ではなく、その人の考え方を支配する「心情的なバイアス」に注目する必要がある。

論理的にかつ冷静に「知識がないからでしょ」という見方では、対話は前に進まない。

「知識のあるなし」に注目する「欠如モデル」が前提とするのは、「知識があれば、それに基づいて行動する」という考え方だ。

逆にいえば、「行動がいつも知識によって導かれている」ということになる。

本当にそうだろうか。

人が何かを決める時に科学的な知識に頼ることは実際には少なく、仲間の意見や自分の価値観が重要な決め手になっている。

たしかに、地球温暖化が深刻な問題だと感じている人がみんな、二酸化炭素が温室効果を生む仕組みを理解しているわけではないだろう。

そうした知識よりも、科学者や国際的な組織への信頼が重要な役割を果たしている。

私たちはみんな自分のことを、知識に基づいて物事を決める理性的な存在だと思いたがっている。

だから、『みんなが言っているから』ではなく、何か科学的なものに基づいて自分で決めたと思いたいのだ。

「直感に合う」「信頼ある人から教えられる」という二つの要素がそろえば、子どものころに抱いた科学と食い違う考えは、大人になってもそのまま保たれる。

科学への反発や反感という大げさなレベルではなく、自然の成り行きとして科学的でない考え方が身についていくのだ。

本書を読むと、知識が増えると人は科学的に考えられるようになるというのは幻想だということがよくわかる。

要は、人は自分の見たいものを見、信じたいものを信じているということであろう。

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