縄文文化が日本人の未来を拓く/小林達雄
縄文は文明ではない、文化である。縄文は日本列島の風土(和辻哲郎)、場所性=トポフィリア(イーフー・トゥアン)を舞台として繰り広げられた文化なのである。文明は人類が地球上でものした技術的・物質的な所産であり、文化は芸術的・宗教的所産であり、相互に対極にあるのだ。
日本文化は、今も世界的に注目されている。
それは注目する個性を持っているから。
ほかのどの文化にもない特殊で独自のものがある。
それはなぜか。
欧米や大陸の国々の歴史の中にはない歴史を持っているから。
それは縄文時代という、1万年以上にわたる自然と共存共生した歴史。
新石器革命で農耕とともに定住するようになった大陸側の人々は、自然と共生しないで自然を征服しようとしてきた。
人工的なムラの外側には人工的な機能を持つ耕作地(ノラ)があり、ムラの周りの自然は、開墾すべき対象だった。
一方の縄文は、「狩猟、漁労、採集」によって定住を果たしていたため、ムラの周りに自然(ハラ)を温存してきた。
自然の秩序を保ちながら、自然の恵みをそのまま利用するという作戦を実践しつづけてきた。
それが1000年、2000年ではなくて1万年以上続。
日本文化は、縄文で1万年以上経験したものを持っている。
それが今につながっている。
縄文の文化的遺伝子というものを受け継いでいる。
私たちが子どものときに学校で習った「人類は自然を克服しながら、文化を築いてきた」というのは、農耕文化で自然を征服しようとする関係になってからの話。
日本文化の原点には本来そういう考えはない。
その方針に乗りだすのは弥生時代以降。
日本列島で農耕が始まるまでの1万年以上の縄文時代は、そのほかの文明先進国がどこも体験することができなかった自然との共生を体験してきている。
日本的観念、日本的姿勢というのは、もともと他の国とは基盤が違う。
ヨーロッパ的な姿勢とか考え方とか、そういうものとはもともと違う。
本書は、1万年を超える自然との共存共栄を続け日本人の精神のバックボーンとなっている縄文文化に光を当てている。
なぜ日本人は、ほかの外国人と違うかを考えるときに、この縄文人の考え方がしみ込んでいるのではないかと著者はいう。
外国と違うことを否定的に見ている日本人に自信と誇りを与えるものではないだろうか。
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