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2021年1月16日 (土)

人類の選択/佐藤優

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 この危機に臨んで、私たちは2つのとりわけ重要な選択を迫られている。第1の選択は、全体主義的監視か、それとも国民の権利拡大か、というもの。第2の選択は、ナショナリズムに基づく孤立か、それともグローバルな団結か、というものだ。

昨年はコロナに始まりコロナで終わったといった感じだ。

そしてコロナ禍は今年も続く。

この危機を、国際的な連帯で乗り越えるのか、それとも国ごとに孤立することで対処するのか。

求められるのは独裁的な指導者なのか、それとも民主主義の原則を貫くべきなのか?

世界史とは、見えざる脅威である感染症に翻弄されながら、それを乗り越えてきた歴史でもある。

連帯か孤立か、独裁か自由民主主義か──。

これはポスト・コロナの時代において、私たち人類が強いられる究極の選択と言っていいだろう。

国家的孤立主義や行政権の強化が進行するなかで、私たちはどのような選択をするべきか、歴史的知見や現状分析を応用して考察しなければならない。

世界史を紐解くと、時代が大きく転換する時期には、必ずといっていいほど疫病や感染症の大流行が起こっている。

ペストしかり、スペイン風邪しかり。

だとすれば、私たちが直面しているコロナ・パンデミックもまた、時代の転換を促す契機になるかもしれない。

疫病が契機となって、旧来の勢力図が大きく変容することだけはたしかだろう。

疫病は、古代ギリシアの覇権国だったアテネ没落の引き金となった。

それと同じように、古代ローマ帝国の衰退にも疫病が大きく関係している。

黒死病の流行によって中世を支配していたローマ・カトリック教会の権威が低下した。

ルネサンスも宗教改革も、その背景には、黒死病の前で無力だったカトリック教会の権威低下があった。

現在、自由民主主義国家であるアメリカや英国よりも、全体主義的な国家である中国のほうが、コロナの封じ込めという点では成果を上げている。

ここでさらに、中国経済の立ち直りが早い場合、人びとの間に中国的な統治への賛同が高まる可能性がある。

ナチズムやスターリニズムが国内のみならず、国外からも一定の支持を得たのは、どちらも経済の回復に成功したからだ。

マクロに見れば、人類史は長い年月をかけて、グローバリゼーションすなわち「世界の一体化」を推進してきた。

それはまた、感染症の拡大規模が広がっていく歴史でもあった。 

冷戦が終わり、グローバル化が加速していった2000年代に入ると、SARS、MERS、鳥インフルエンザ、豚インフルエンザ、エボラ出血熱という具合に、立て続けに感染症が人類を脅かしはじめた。

その延長に、今回の新型コロナウイルスがあると位置づけたとき、私たちはこれまでのように、グローバリゼーションを徹底する方向に進むべきなのか、それとも国家を閉じる方向に向かうべきなのだろうか。

新型コロナウイルスの感染が拡大する過程で、各国において国家機能が拡大し、民主主義的統制に服さなくなる危険性は高まっている。

外出できない状況が長引くと、必然的に人間の関心は内面に向かっていくようになる。

モサドの元幹部は、このように話していた。

「新型コロナ後の世界はほんとうの幸せとは何か人間の生死はどのように決まるのか人生の意味は何なのかというような、人間の内面に対する関心が深まるようになる。新自由主義が席巻するなかで軽視されていた哲学や宗教に対する関心が強まると思う」

「内面性重視の時代」というと、心の豊かさを求めていくベクトルが強まるように聞こえるかもしれない。

しかし同時に、内面性が暴走してしまうことの危険性も認識しなければならない。

孤立した状態で、自己の心をのぞきこみすぎると、魂がインフレーションを起こす。

そして、肥大した魂からはロマン主義的なナルシシズムや暴力が生まれてしまう。

この危機は「リスク以上、クライシス未満」という性格を帯びている。

リスクの閾値を超えているので、適切な処方箋を書くことができない。

他方、クライシスではないので、コロナ禍によって人類が滅亡することもない。

いずれにしても、今回のコロナを通して社会は大きく変わる。

どのように変わっていくのか、しっかりと見極めてゆきたい。

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