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2021年1月 6日 (水)

「自粛」と「緊縮」で日本は自滅する/藤井聡

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 問題はどのあたりが「適切」な自粛レベルであり、そして現状の自粛のレベルが「過剰」なのか「過小」なのかという判断だということになるのですが──今の日本には、「過剰」な自粛が横行してしまい、それによって日本の社会と経済が深く傷付いてしまったと考えざるを得ない状況にあります。

感染症において「自粛」は必要だ。

でもだからといって、とにかく常に自粛してりゃいい、というわけではない。

各国のデータを眺めてみても、自粛を激しく行った国の感染被害は少なく、自粛をしなかった国の感染被害が大きいのかというと、必ずしもそうではなく、自粛の効果は明確ではない。

つまり、理論的に考えれば「自粛」の感染抑止効果がないはずはないのだが、それでもなお、自粛「以外」の要因の効果の方が大きく、自粛すればそれで感染は抑えられる、というわけでは決してないようなのだ。

一方、「自粛」すればするほど、経済が冷え込むことは確実だ。

実際、経済の冷え込みデータと自粛の程度のデータとの間には明確な関係がある。

具体的に言うと、国民の移動量を一割削減すると、実質GDPは年率で約7%程度は下落してしまうという結果になっている。

つまり、「自粛」というものは、その感染症抑制効果はマクロデータでは明確ではないのだが、経済に対しては確実かつ強力に破壊する力を持っているのだ。

こうした「過剰自粛」が日本に横行するその根本的な原因は、「コロナは怖いもので、絶対に感染拡大させてはならないものだ」という認識、ならびに、「そう考えるべきだ」という「タテマエ」が社会的に共有されているからに他ならない。

その結果、「自粛は善で、自粛しないのは悪」という「空気」が世間を覆い、人々はコロナが怖かろうが怖くなかろうが、とにかく「自粛」せざるを得ない状況に陥っているわけだ。

「財政が厳しい、このままだと破綻する!」と言いながら、そういうオカネを増やさないでどんどん搾っていく、という態度が「緊縮」。

いわば、緊縮とは政府支出についての「自粛」なのだ。

さらには、「財源が足らない!」と言って、消費税をどんどん増税するのも、同じく「緊縮」的な態度だ。

なぜ、そんな緊縮が続けられてきたのかというと──「このままだと日本は借金が膨らんで破綻する~!」という恐怖心が拡大し、「緊縮が善、緊縮しないのが悪」と考えるべきだという「空気」が我が国を覆ってしまっているからだ。

つまり、「コロナについて自粛すべき!」という空気が蔓延しているのと、そっくりの状況がこの「緊縮」においても存在し続けているわけだ。

そしてこのたび、我が国日本を直撃した「消費増税」という人災と「コロナ」という天災のダブルショックによって、そうした国内外の政府に対する「誤解」「買い被り」が完全に打ち砕かれることとなった。

米国のウォールストリート・ジャーナルは、「日本が犯した三度目の過ち、消費増税が経済に打撃」と日本の消費増税を批判し、同じくイギリスの経済誌エコノミストは、消費増税を、「やらなくてもいいのに政府が自らしでかした政策の間違いである消費増税」と酷評した。

そして、イギリスの経済紙フィナンシャル・タイムズは、「消費増税後6.3%もGDPが縮小」という事実を報じた上で、「消費増税の悪影響は、事前に予測したよりも遥かに大きかった」というエコノミストの声を報じ、「日本は不況突入コースに入った」と指摘している。

その結果、その「コロナショック」は「リーマンショック」を遥かに上回る経済的ダメージを日本経済に与えることになった。

しかし、この「コロナショック」の直接の原因は、日本人の「自粛の嵐」だ。

そして忘れてならないのは、この「自粛の嵐」を直接導いたのは実は、新型コロナウイルスなのではなく、むしろ「日本国政府」だったのだ。

新型コロナウイルスの特性を踏まえれば、高齢者や基礎疾患をお持ちの方々さえコロナ感染を徹底的に回避する取り組み「さえ」行っておけば、基礎疾患のない健康な若年層については、過剰な自粛は必ずしも必要ではない、というのが、現実的な「リスクマネジメント」であると考えられる。

少なくともこれまでの医学データを見れば、最大で五千万人もの死者を出したと推計されているスペイン風邪よりも圧倒的に毒性の低いことが明らかな新型コロナウイルスに慌てふためく欧米人も欧米人だが、何も考えていない日本人は、それにさらに輪をかけて愚かだ。

今の状況を分析すると次のようになる。

第一に、このコロナの流行は、短期間では終わらない。大なる可能性で、年内いっぱい、完全に収束することはないだろうし、数カ年かかることも十分に考えられる。

第二に、その間、人々の行動が抑制されるわけだから、確実に経済は疲弊し、倒産と失業の嵐が吹く。その経済被害は、政府の支出によって一定程度抑え込めるだろうが、すべての失業、すべての倒産を抑止することはできないだろう。日本のように緊縮にこだわっている国ではなおさらだ。

第三に、こうして産業の生産性が大幅に抑制されるので、さまざまなモノが不足する事態となる。

第四に、パンデミックに恐れをなしてあらゆる活動を停止させていけば、経済のみならず、社会や文化、芸術も衰退していかざるを得ない。そして、感染を過剰に恐れた人々の生命至上主義によって社会が破壊され、人間の豊穣性が失われていくことになる。

第五に、こうしてパンデミックを契機としてもたらされる世界恐慌や世界的食糧危機によって、「日常」が徹底的に破壊され、人心が乱れていけば、民主国家においては、大きな政変が次々と起こっていくことは避けられない。

第六に、こうしたさまざまな世界史的な転換の中で、新自由主義に基づく「グローバリズム」に大きな反省が加えられ、経済産業構造が激変していくことになるだろう。そして、「保護主義」が急速に重視されるに至り、「経済的自律性」を各国が激しく求め出すことになるだろう。

第七に、こうしたさまざまなパンデミック、大恐慌、食糧危機、民主主義が導く全体主義、グローバリズム終焉といった激変の中で適切に対応できた国がその国勢を拡大し、失敗した国が凋落していくわけだが、極端な新自由主義に基づく「緊縮主義」と「非保護主義」を信奉する国ほど、これらの激変の被害を莫大に受けることになる。

したがって被害がとりわけ大きくなるのは日米欧だ。

日米欧中ロの主要五カ国・地域の、パンデミック後の「長期的」な視点からの躍進/没落の程度は、おおよそ次のような格好となると考えられる。

<←没落         躍進→>

日本<欧州<アメリカ<ロシア<中国

つまり、我が国日本にとって、このパンデミックは最悪の悪夢そのものなのだ。

加えて、このパンデミックが最悪なのは、最も没落するのが日本だという点だけでなく、最も躍進する、極めて攻撃的な大国・中国が我が国の隣国にあるという地政学的な条件まで揃っている点にある。

こうした最悪の悪夢を回避するためにどうすればよいのかと言えば、第一に、以上のような「最悪のシナリオ」が極めて現実的に実現するであろうという真実をしっかりと、一人でも多くの国民が認識することをおいてほかにない。

感染症対策には、二つのタイプがある。

一つが「撲滅」戦略で、もう一つが「被害最小化」戦略。

今の日本の感染症対策は、「撲滅(抑圧)」戦略を採用している。

撲滅戦略なので、つぎのように考えている。

(一)多分、コロナは駆逐できるのだろう(エライ先生がそう言っているし、政府もそれが正しいと言っている)。そしてそうなれば、去年までのように、普通の暮らしを続けることができるだろう。

(二)でもコロナが駆逐できなければ、普通の暮らしを続ければきっとまた、感染が増えてしまう……だから、コロナ駆逐ができない限り、普通の暮らしなんて始められない。

(三)コロナを駆逐するには、全員が一致団結して、感染しないように気をつけなきゃいかん。逆にいうと、一人でも「裏切り者」が出て感染「してしまいやがったら」、結局、コロナ駆逐ができなくなる。だから、そういう「裏切り者」が一人でもいる限り、自分たちは普通の暮らしを始められない。

(四)だから、「感染者=裏切り者」は途轍もなく悪い奴だ、ということになる。つまり、人々は感染者に対して、「オマエのせいで、俺たちは普通の暮らしができないじゃないか。みんないやいや自粛してるのに、オマエも自粛しろよ!」と憤り、石を投げる。

ここでもし、「ウイルスなんて駆逐できないんだよ」という認識が共有されていれば、ここまで全国民がヒステリーになって、感染者に石を投げるなんてことはしないだろう。

コロナに関してだけは「駆逐できる」ということが前提になっており、しかも、それを「国民一丸となってやろう」ということになっていて、それを総理や知事や有名人たちが皆こぞって言っているので、ほとんどの日本人の頭の中は完全にそうなってしまっている。

いわばもう、戦前の日本やドイツ国民のように、ある種の集団催眠状態、あるいは政治哲学的に言うと「全体主義」と呼ばれる状況の中に、人々の精神が埋没してしまっている。

しかし、このウイルスについては、クラスター対策による「封じ込め」ではなく、封じ込めることができないという前提の上で「かしこく付き合う」方法を探り、その被害を「最小化」することが必要だ。

これはちょうど、クルマに乗れば事故で死ぬかもしれないが、その必要性を鑑みて、事故で死ぬリスクを「受け入れた」上で、クルマを使う、という話と同じ。

特に電車があまりない地方の場合、クルマは必需品、になっている。

そんな場所でクルマが怖いからといって一切使わなければ、生活ができなくなってしまう。

それが、「リスクと付き合う」という姿勢なのであって、今、コロナについてもそうした冷静な姿勢が求められている。

全体主義は本当に恐ろしい代物だ。

全体主義の特徴は次のようなもの。

①思考を停止する

②特定の説一つにひたすら固執し、異論を認めない

③その特定の説の正当性を主張するために、やたらと科学/科学者の権威を振りかざす

④異論があれば、それを徹底的にバッシングする

今、まさに日本でこのことが起こっている。

しばしば、今のインターネット上では、「コロナ脳」などという言葉が使われている。

「コロナはとにかくコワイ、だから、それを抑え込むことはすべてに優先すべきだ!」という考えに支配された人が、その「コロナ脳」だと言われている。

恐ろしいのは、こうしたコロナ脳になっている人は何もTVを見ている国民だけなのじゃなくて、専門家会議もまた、こうした脳になってしまっているところだ。

日本は、98年からとてつもない「デフレ不況」に突入してしまい、デフレに突入した98年から、自殺者数が一気に年間一万人も増えてしまった。

その後、十年以上もその状況が続いた。

2010年代に入ってようやくその死者数も減り始めたのだが、この推移から「このデフレ不況に『よって』増えてしまった自殺者数」を推計すると、実に14万人以上という推計値となった。

つまり大不況というものは、14万人もの人命を奪い取るほどの、すさまじい「殺傷能力」を持っているのだ。

死者を出してはいけない、と言うなら、経済苦で自殺する方だって救わなければならない。

例えば、著者の試算では今回のコロナ不況による自殺者数の増加は、仮に一年間で完全終息するとしても、20年間で14万人に増えるという結果になった。

経済が悪化すると失業が増えて、自殺者が増え続けるという傾向がある。

終息までに2年かかると仮定すると、自殺者は28年間で27万人に達する。

コロナの特徴をまとめると、次のようになる。

特徴1:九五%以上が無症状、あるいは軽症である。

特徴2:死亡率は若年層で0.1%だが高齢者ではその何十倍、百倍以上になる。

特徴3:若年層は仮に重症化しても適切な医療があれば八割方助かるが、高齢者は重症化すると死亡する確率が非常に高い。

特徴4:高齢者と同様、基礎疾患者、妊婦も「コロナ弱者」である。

特徴5:感染の大半が接触感染と考えられる。飛沫感染とエアロゾル感染もある。

特徴6:クラスターは病院と高齢者施設で6割を占めている。

特徴7:東アジアでは、欧米ほど急速な感染爆発は起こらないという実績がある。

生きるということは、すべての行為と背中合わせに「死ぬかもしれない」というリスクが存在していて、だからこそ、その刹那、刹那が大事に思えるのに、リスクさえ排除すれば楽しみが減ってもいいというのは、もうほとんどゾンビとして生き永らえているだけだ。

いまの感染症対策を、「撲滅」戦略から「被害最小化」戦略に切り替える必要が出てきているのではないだろうか。

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