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2021年1月10日 (日)

日本人が教えたい新しい世界史/宮脇淳子

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 いまの日本の歴史教科書は間違っています。単なる年表が並んでいるだけで、本当の意味の歴史になっていないからです。お互いにつながらない話が羅列されているだけで、因果関係もわからないし、ストーリーがないので理解できないのです。
 もともと歴史は物語です。前述したように、世界のあちらこちらで同時に起こっている出来事を、自分一人で経験することはできないし、生まれる前に起こったことももちろんまったくわかりません。そこで、ほかの人たちが言ったことや書いたことを集めてきて、どういう世界だったのか、と理解できるようにするのが歴史です。

歴史とは何か?

なぜあえてこう問う必要があるのかと言えば、人間がいて時間が経てばそれがそのまま歴史になるというほど歴史は簡単なものではないからだ。

いま世界で国連に加盟している国は197カ国あるが、それらの国のすべてが歴史を持っているわけではない。

ふつうは国があればそれぞれに歴史があると思いがちだが、実は必ずしもそうではない。

世界には歴史のない国が多いのだ。

それでは歴史が成立するためには、どういう条件が必要なのか。

直進する時間の観念と、時間を管理する技術と、文字で記録をつくる技術と、物事の因果関係の思想の四つの条件が必要だというのが、岡田英弘氏が言い出した説。

歴史とは過去の出来事がどういう因果関係で起こったかを明らかにするもの。

本来の歴史というのは、ある物事について、なぜそういうことが起こったのか、その前にどういうことがあったからそういう出来事が起こったのだ、という因果関係を明らかにしたいという動機によって書かれるもの。

「歴史とは、人間の住む世界を、時間と空間の両方の軸に沿って、それも一個人が直接体験できる範囲を越えた尺度で、把握し、解釈し、理解し、説明し、叙述する営みのことである」(岡田英弘著『世界史の誕生』)

歴史は過去そのものではなく、過去の解釈だということ。

昔あったことを説明するために流れをはっきりさせることが歴史叙述なのだ。

隣り合った国同士は、歴史については基本的に意見が対立する。

では、正しい本当の世界史はあるのかと聞かれたら、それはないと言わざるをえない。

というのも、100年後、もしだれかが世界を説明したときに、いまと同じ説明ができるとは限らないから。

歴史は未来を予測できない。

常に起きたこと、結果からさかのぼって見ることしかできないものだからだ。

つまり、歴史というのは、いま私たちが生きている世界がなぜこうなのか、昔何があったからいまこうなってきたのかを自分たち自身が理解する、そういう必要のためにあるということ。

過去の出来事から現在を意味づけて、みんなが理解するために書かれるものなだ。

世界中どこにでも歴史が生まれたわけではない一番大きな理由は、時間をきちんと計測して記録に残すということが、非常に高度な文明にしか誕生しなかったから。

歴史という概念は、過去を時間と空間の両方から見ることができなければ、生まれることはない。

世界には、文明はあっても歴史という文化のないところがけっこうある。

世界には二つだけ、自前の歴史文化を持った文明がある。

それが地中海文明とシナ文明。

地球上で最初の歴史書と言えるのは、ヘーロドトスが紀元前五世紀にギリシア語で書いた『ヒストリアイ』。

もう一つの歴史文化はシナの司馬遷が書いた『史記』。

ヘーロドトスはなぜ『ヒストリアイ』を書こうと思いたったのか。

それは、紀元前480年にギリシアの都市国家同盟がサラミスの海戦で大ペルシア帝国に勝ったから。

彼にとっては弱小なギリシアの都市国家がなぜ大国ペルシアに勝てたのか。

それが不思議で仕方がなかった。

ペルシア戦争はなぜ起きたのか、ギリシアはどのようにして勝ったのか。

ヘーロドトスはその理由を自分で確かめたいと思った。

ヘーロドトスは、エジプトなど行ける限りのところを旅行して、彼が見たことや経験したこと、他人から聞いた話に加えて、手に入れられるものはすべて読んで調べて書いた。

だから、「調査・研究」なのだ。

自分なりにペルシアとギリシアの戦争の原因を考え、なぜペルシアが負けてギリシアが勝ったのかということを整理した。

それが『ヒストリアイ』のテーマであり、ストーリー(筋書き)だ。

ヘーロドトスの『ヒストリアイ』の中には大事なメッセージが三つある。

その一つは、世界は変化するものであり、その変化を語るのが歴史であるということ。

ヘーロドトスは、「かつて強大であった国の多くが、いまや弱小となり、私の時代に強大であった国も、かつては弱小であった。されば人間の幸運が決して不動安定したものでない理りを知る私は、大国も小国もひとしく取り上げて述べてゆきたいと思う」と序文で書いている。

二つ目は、世界の変化は政治勢力の対立・抗争によって起こるということ。

三つ目は、21世紀のアジアに生きるわれわれにとってもきわめて重大な問題は、ヨーロッパとアジアは永遠に対立する二つの勢力だとヘーロドトスが書いたということ。

ヘーロドトスの枠組み、ヘーロドトスの世界観は、実はヨーロッパ人には非常に深くしみ込んでいて、それを学んだ日本人もそのことを前提条件として無意識に受け取っている、もう一度合う部分と合わない部分を考え直さなければいけない。

世界で自前の歴史文化をつくり出したのは地中海文明のヘーロドトス以外には、シナ文明の司馬遷だけ。

歴史というのは、あるがままがそのまま書かれているのではなく、まず歴史書が書かれるという時点で一つ、大きな理由がある。

歴史は2000年後の人のために史実を残したいと思って書かれるのではない。

その時代の要請があって、何かの目的をもって書かれるもの。

だからその主旨に沿った文献だけが残って、その意図からはずれる文献は残らないことが多い。

そもそも国史は国をまとめるために、目的があって書かれた過去の話。

したがって、戦争した相手は全部悪いと一方の国は書き、その相手の国は自分たちだけが正しかったと書く。

だから、そのような歴史をどんなに集めても世界史にはならない。

司馬遷の『史記』も嘘をついている。

ヘーロドトスの歴史も史実かどうかはわからない。

『ヒストリアイ』でヘーロドトスが言ったのは、世界は変化するということ。

国は人間と同じように誕生して大きくなるけれども、やがて老年になって滅びる。

政治勢力の対立抗争によって世界は変化していく。

さらに、ヨーロッパとアジアは対立する二つの勢力であるという解釈。

では、シナ史はどうなのか。

司馬遷の『史記』は、黄帝という最初の天子から、天が命を変えることで王朝が交代し、夏、殷、周、秦、漢と続いて来た。

つまり、天は昔もいまも永遠不変で、その天命によって天子が交代する。

これがシナの歴史。

この両者はそれぞれ過去をひとつのストーリー(物語)で説明することには成功した。

しかし、これでは物語の枠組みがまったく違っていてかみ合わない。

西洋史と東洋史では、基本となる歴史観がはっきり二つに分かれてしまっている。

この二つを合体させたところで、筋書きがまとまるはずがない。

日本の世界史教育の大きな問題点がここにあるということではないだろうか。

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