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2021年2月26日 (金)

ファシズムの教室/田野大輔

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 権威に服従することで、人びとは他人の意思を代行する「道具的状態」に陥る。だがそれは同時に、彼らが自分の行動に対する責任から解放され、敵や異分子を思うまま攻撃する「自由」を得ることも意味する。権威の後ろ盾のもと解放感にひたりながら、自らの欲求を充足する点にこそ、ファシズムの「魅力」を理解する鍵がある。

そもそも、「ファシズム」とはいったい何だろうか。

私たちは普通、この言葉を歴史上の事象を説明するのに用いている。

歴史的現象としてのファシズムとは、第一次世界大戦や世界恐慌による混乱を背景に、ドイツやイタリアなどで台頭した独裁的・全体主義的な政治運動・体制を指し、議会制民主主義の否定、偏狭な民族主義や排外主義、暴力による市民的自由の抑圧といった特徴をもつもの。

ファシズムの本質とは何なのか。

これを究明する鍵は何よりも、集団行動がもたらす独特の快楽、参加者がそこに見出す「魅力」に求められる。

全員で一緒の動作や発声をくり返すだけで、人間の感情はおのずと高揚し、集団への帰属感や連帯感、外部への敵意が強まる。

この単純だが普遍的な感情の動員のメカニズム、それを通じた共同体統合の仕組みを、ファシズムと呼ぶ。

権威に服従している人は、いわば「道具的状態」に陥っている。

自分の意思で行動しているのではなく、上の命令者の意思の道具になっているのである。

この場合、彼らは客観的に見ると従属的な立場にいるのだが、本人の内面では自分が何をしても責任を問われないという、解放感とでも呼ぶべきものが生じている。

逆説的なことに、服従によってある種の「自由」が経験されている。

独裁体制下の人びとは一見権力に抑圧されているように見えるが、実は上からの命令に従うことで自分の欲求を充足できる自由を享受しており、主観的には解放感を覚えている可能性が高い。

それどころか、彼らは自らの欲求を満たそうと、国家の権威を利用している面さえあるだろう。

軍隊のような上意下達の組織のほうが現場の暴走を招きやすいのも、おおむね同じ理由による。

人びとを惹きつけるこの「魅力」を正しく認識しない限り、「権威への服従」の本当の危険性は明らかにならない。

集団行動による意識の変化をもたらす原因としては、①「集団の力の実感」、②「責任感の麻痺」、③「規範の変化」の3つが重要ではないかと考えられる。

人びとが言いたくても言えなかった本音、胸のうちに抑圧してきた憎悪に表現の機会を与えるところに、ヒトラー、そしてファシズムの危険な「魅力」があった。

ポピュリズムの定義には様々なものがあるが、論者の見方がおおむね一致しているのは、真の「人民」の存在を措定し、自分たちこそそれを代表していると主張するという本質的な特徴である。

ポピュリストたちはこの「人民」の意思を絶対視して、その実現を阻むあらゆる制約の打破を求める一方、民主主義社会の基盤をなす政治的・文化的・社会的多様性を排除して、統一された均質な「共同体」の形成をめざす。

しかもまた、彼らは「人民」を抑圧・搾取するエスタブリッシュメント(既得権層)や、その庇護のもとで特権を享受するマイノリティへの憎悪や敵意を煽り、その排除に向けて大衆の感情を動員しようとする。

複雑な現実を単純化し、わかりやすい敵に責任を転嫁する点で、ファシズムとポピュリズムが取る煽動の手法は基本的に同じだ。

人はいかに扇動されやすい存在なのか、その自覚を持つべきなのではないだろうか。

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